第36回 講演要旨

2023/12/16


● 飯塚淳子さん、佐藤由美さんと路子さん ●

     (優生保護法強制不妊手術を告発し国に謝罪を求める)

「私は、宮城県の被害者、飯塚淳子です。私は16歳の時に何も説明されないまま優生手術を受けさせられました。両親が話しているのを聞いて、自分が子供を産めなくする手術をされたことを知りましたが、優生保護法という法律のことも優生手術のことも当時は全く知りませんでした。優生手術は私から幸せな結婚や子供というささやかな夢を奪いました」
 こうお話をはじめた飯塚淳子さんは、1998年、もっとも早く、たった一人で優生手術に抗議の声を上げて以来、「この被害を闇に葬られてはならぬ」と思い、長い間、歯をくいしばって国、県と闘い続けてきました。
 飯塚さんが優生手術を受けた当時、宮城県では優生思想の普及と強制不妊手術の徹底を訴える「愛の十万人運動」が行われていました。そうした中で飯塚さんは民生委員によって一方的に「知的障害」とされて障害者施設に送られ、退所後は職親によって虐待を受け、民生委員と職親によって優生手術を強制されました。
「最高裁の判決で、優生保護法は最初から明らかに違憲とされました。そんなひどい法律による被害の責任を、国はなぜもっと早く認めなかったのですか。和解したからといって私の人生が戻ってくるわけではありません。本当は私の体を元に戻してほしい」
 そう言って飯塚さんはお話を終えました。

 佐藤路子さんは結婚してすぐ、夫の妹・由美さんが子供ができないように手術したと夫の母から聞かされました。目のくるっとした可愛い妹のお腹には、へその下から恥骨くらいまで縦14センチもの傷があり紫色に腫れあがっていました。飯塚さんたちの活動が報道され、由美さん受けた手術が優生手術ではないかと思った路子さんは、宮城県に情報開示請求した結果、妹さんは1972年、15歳のとき、事実とは異なる遺伝性精神薄弱と診断されて、優生手術をされたことがわかりました。
 由美さんは読み書きはできませんが、洗濯や掃除や食器洗いなど家事一般はできて、路子さんの3人の子供の世話もよくしてくれました。由美さんには男性に対する憧れの感情もあり、近所の男性との縁談が持ちかけられたこともありましたが、優生手術を受けたことを話すとダメになりました。
 2017年以降、厚労省の担当者は、被害者との面談の席で、「当時は合法、適法、厳正な手続きにもとづいて実施した。調査する必要はない」という答弁を繰り返しました。
 やむなく、路子さんと由美さんは2018年1月、国を相手に裁判を始めます。裁判など未知の世界、不安でいっぱいでした。国は請求棄却を求めて争う姿勢を示しましたが、裁判所から再三、旧優生保護法の合憲性について認否を求められても、認否を拒み続けました。
 旧優生保護法は立法の時点で違憲の人権を侵害する法律だったという2024年7月最高裁判決が確定した後、岸田総理は被害者を前に謝罪し、その後ろで官僚たちも繰り返し頭を下げました。なぜもっと早く話を聞いてくれなかったのか、頭を下げられても嬉しくはなく、悔しいだけでした。
「妹の手術痕はあまりにひどかった。それを40年以上、疑問に思い続け、飯塚さんや『優生手術に対する謝罪を求める会』に出会えたから、裁判を勝ち抜き、法律も変えることができて、今日皆さんにお話しできたと思います。ありがとうございます」。そう佐藤さんはお話を終えました。

 話し終えたお二人に大きな拍手がおくられました。


● 阿部一子さん ●

     (原発事故に抗した梨づくり)

「福島市で梨の専業農家をしています阿部一子です。私は生活の糧を得るために、原発事故の放射能が降り注いだ福島で農業を続けていくためには何ができるのか、ただ闇雲に突っ走ってきました。それは今も福島で農業を続けている誰もが同じだと思います」
 そう自己紹介した阿部一子さんは、35年前、農園の八代目を継いだ夫とともに故郷、福島に帰って名産の梨「幸水」を育てながら、フクシマ原発銀座の原子力発電所に反対する運動に参加していましたが、2011年3月11日の福島原発事故後の放射能が梨畑と自宅に降りました。
 JA福島は「この地域では梨も米も作っていい数字」、政府は「ただちに健康に影響の出る値ではない」と繰り返しましたが、本当に信じていいか、懐疑的になった阿部さんは梨の実の放射線検査を続けます。
「市民放射能測定所で測定した幸水は1kg中、セシウム134+137で28ベクレル。安心して召し上がってくださいとは言い切れませんが、これでよろしければ注文してくださいと農園だよりに書きました。放射能の降り注いだ福島で育った梨ですから、注文は来ないだろうと思っていました。……福島を応援しようと思っている人はたくさんいて、友人から友人へと農園だよりが手渡されて多くの注文が来たのはびっくりしました」
「農園だよりはずっと書き続けています。2011年からは、梨に含まれる放射能の表示が必要だと思い、数字を入れています」  高価なGMサーベイメーター(土壌も空間も測れる線量計)を購入した阿部さんは畑と自宅周辺のあらゆるところを計測して、できる限りの除染を続けます。
 JAの除染説明会に参加した阿部さんは、果物から放射線セシウムが検出されないように梨の木の粗皮を削ることに挑戦します。夫と二人で一本削るのに2時間、400本の木の粗皮を削るのは気の遠くなる作業でしたが、東京と神奈川から友人たちが駆けつけてくれました。
福島市で初めて取り組む果樹園の表土除染モデル事業に手を上げて梨畑の除染をしました。表土を5センチ削り取リ、1トンの土が入るフレコンバッグ(1つ1万円)630袋でした。約300坪の土地に1.5メートルの穴を掘り630袋の汚染土を入れて、その上に50センチの山砂をかけて行きます。2ヶ月半かかってその費用は3,400万円でした。実施主体は環境省から福島県 福島市の農政課となっているのに、梨の実や梨の木に不都合なことが生じた場合はモデル事業を引き受けた側が東京電力に損害賠償請求をするという。引き受けた側の責任なのでしょうか。対応の仕方が間違っていると思いました。
 住宅除染で出た汚染土は各家の周囲に積まれています。遮蔽されていますと言われても、本当に大丈夫なのという不安感がいつもある、低線量被爆の先に何があるのか? 汚染水の海洋放出が始まりましたが、放出された放射性物質が安全基準を超えたらどうするのか? 東電の人も廃炉まで100年かかるかもしれないと言っています。
「不安なことはたくさんありますが、それでも農業は楽しいと思います。福島に来て34年。私はここが好きで、ここで農業をして生きていきたいんだとはっきりと自覚させてもらったのは、なんと皮肉にも原発事故でした」
「ここで生きる。ここに生きる」という決意を固めて福島で頑張っている阿部一子さんのお話に大きな拍手がわきました。


● 崔江以子(ちぇ・かんいじゃ)さん ●

     (川崎市におけるヘイトスピーチとの闘い)

 崔江以子さんが暮らす川崎市桜本は、戦前、戦中に朝鮮半島から渡って来ざるを得なかった人たちとその二世、三世が多く暮らす街です。地域の小学校では毎年運動会で朝鮮の伝統芸能が演じられ、6年生になると地域の一世ハルモニからキムチ漬けを教わります。
「私が私らしく、あなたがあなたらしく……共に生きる実践を丁寧に丁寧に重ねてきたのが私たちの街、川崎桜本です」
 民俗芸能を踊るこどもたちやキムチをつけるこどもたちの写真を紹介しながら、崔さんが誇りと自信に満ちた口調で話すと、会場から感嘆の声が洩れました。
 その街を日の丸や旭日旗を掲げ、朝鮮人を殺せ、ゴキブリ朝鮮人を海に沈めろと主張するヘイトデモが襲いました。桜本ではデイサービスセンターに「私たちの街は差別は許さない!」というメッセージが掲げられ、地域の人びとが飛び出してきて抗議の声を上げました。しかし、道路に寝転んでデモを止めようとした人たちは警察に排除されても、ヘイトデモの人たちは規制されませんでした。道路交通法はあるけれども差別を禁止する法律がないからでした。
「大人はいつも差別はダメと言っているのに、どうして大人が差別するんだ」
「ルールがないならルールを作れ」
 こどもたちの声に励まされて、崔さんたちは国に人権侵犯の被害申告を提出するとともに、国会でヘイトスピーチの被害を訴えました。当時、与党は「日本には法律を作ってまで禁止する深刻な差別はない」としていましたが、被害の訴えは与党の人たちの心も動かしました。自民党の人たちも含めた議員団が桜本に視察に来て、商店街や地域の被害、こどもたちの被害を聞いた結果が2016年のヘイトスピーチ解消法の成立につながりました。
 ヘイトスピーチ解消法は罰則のない理念法で不十分な法律でしたが、崔さんたちは多くの川崎市民の協力を得て市議会と市長に要請を繰り返した結果、川崎市はヘイトスピーチをする団体に公園を貸さないと決断し、司法もヘイトデモを禁止する仮処分決定を出しました。
 崔さんたちは、差別をなくそう、差別を禁止しようという一点であらゆる人と手をつなぎ、川崎市を励まし続けて、ついに差別を犯罪として罰則のある「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」を成立させました。
 条例の成立を知ったハルモニたちは、自分たちを差別の被害から守る条例ができたことを知って、「やっと川崎市民になれたような気持ちです」と喜びを綴りました。
 今も川崎駅前ではヘイトの街宣は続いていますが、川崎市の職員が条例に抵触するヘイトを監視、記録するようになり、以前のように差別がたれ流されることはなくなりました。
 しかし、今も確信的に差別する人たちの行動は止まりません。デモができなくなると街宣をやる、選挙活動の中で公選法に守られてヘイトを垂れ流す、特にインターネットは非常に問題があります。崔さんの名を検索するとネット上に900万件のヘイト投稿がヒットします。事後的ではなく、未然にヘイトを防ぐ施策が圧倒的に欠けています。
「最後に共有したいのは 皆さんが差別をしないだけでは差別はなくならないということです。差別がある社会の一構成員として、 主権者として主体として、差別のない社会のために皆さんと一緒に歩みを進められたら嬉しいです」
 こう言って崔江以子さんが話を終えると、大きな拍手が湧きました。