2024/10/03
● 飯塚淳子さん、佐藤由美さんと路子さん
(優生保護法強制不妊手術を告発し国に謝罪を求める)
優生保護法による強制不妊手術の被害を30年以上訴え続けた飯塚淳子さんは、中学3年になるとき民生委員などによって知的障害者施設に入園させられ、卒業後は「職親」の元で住み込みのお手伝い。16歳のころ説明なく診療所に連れて行かれます。のちに親たちの会話から子どもができなくなる手術だと知ります。1999年に厚労省に訴えますが「当時は適法合法、謝罪も補償も調査もしない」と言われます。宮城県に書類開示を求めると、その年だけ台帳が廃棄されていて裁判も起こせません。それでも不条理に納得できず支援者とともに活動を続けました。
その報道をみた佐藤路子さんは、夫の妹・由美さんの受けた手術も優生保護法によると知り、証拠書類が存在した由美さんと2018年に提訴。東京、北海道、大阪、兵庫、熊本、福岡、愛知、大分などで被害者が提訴して原告は39人になりました。2024年7月、最高裁大法廷で「優生保護法は立法時から憲法違反で人権侵害」という判決が出て、国の謝罪を勝ちとります。それまでに原告6人が逝去していました。
飯塚さんの悔しさを佐藤由美さん・路子さんが受け止めて提訴したことで、闇に葬られていた人権侵害が明らかになりました。彼女たちを祝福し、多田謡子反権力人権賞を贈ります。
● 阿部一子さん
(原発事故に抗した梨づくり)
福島市西郊の1ヘクタールの梨園で、夫とともに名産「幸水」など400本の梨の木を育ててきた阿部一子さんの転機は、38年前のチェルノブイリ原発事故でした。東京で暮らしていた阿部さんは下の娘を産んで2カ月後。食に気遣いながら母乳で育てていただけに放射能汚染に恐怖しました。34年前、阿部農園の8代目を継いだ夫とともに故郷の福島に帰った阿部さんは、梨をつくりながらフクシマ原発銀座の原子力発電所に反対する運動に参加しました。そして、丹精込めた梨を全国に出荷できるようになった矢先、福島第一原発が爆発し、数十キロ離れた阿部農園にも放射能が降りました。
徹底した除染、梨の樹脂剥ぎなどで梨の実からのセシウムは1年後には8~13ベクレルまで減りました(基準値500ベクレル)。悩んだ末に、阿部夫妻は検出されたデータをすべて公開し、都会の消費者には正直に「これでも食べてもらえますか?」と呼びかけてきました。今は検出限界値以下になっていますが、ゼロではありません。
廃炉作業の原発の下で汚染土と共存を強いられながら梨をつくり続ける生活者、生産者であり、福島の今を全国に伝え続ける阿部一子さんの闘いに敬意を表して、多田謡子反権力人権賞を贈ります。
● 崔江以子(ちぇ・かんいじゃ)さん
(川崎市におけるヘイトスピーチとの闘い)
在日コリアン3世・崔江以子さんの住む川崎市桜本は、日本の植民地支配によって朝鮮半島から渡日した在日コリアンの集住地区です。ここで2013年からヘイトデモが始まったことに対して、2016年「ヘイトデモをゆるさないかわさき市民ネットワーク」が結成されました。ところがその中心で声をあげた崔江以子(ちぇ・かんいじゃ)さんに、執拗な個人攻撃が向けられます。崔さんはヘイトスピーチがまねく心身への深刻な被害を国会・参議院法務委員会で意見陳述。国を動かして「ヘイトスピーチ解消法」制定に寄与しました。同時に地元川崎市の行政にも働きかけて、全国に先駆けて罰則のある「ヘイトスピーチ規制条例」制定という画期的な成果をかちとりました。
しかし、いまも彼女への攻撃はおさまっておらず、2021年には勤め先に「コロナウイルス入り」と書いた脅迫状が届き、13回もの「死ね」の文言。命の危険感じた崔さんは、外出時、常に防刃ベストを着用しています。
つらく厳しい中にありながら、「社会正義を実現したい」と訴え、約10年間にわたり、ヘイトスピーチ根絶のために、その身を削りながら共生を訴えている「反差別」のたたかいに敬意を表して、多田謡子反権力人権賞を贈ります。