第35回多田謡子反権力人権賞受賞者の紹介

2023/10/12

● 水戸喜世子さん
           (救援運動・反原発の闘い)

 1967年、ベトナム反戦運動は世界各地で高揚、日本の青年・学生も佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止する実力行動を10月8日に羽田空港一帯で展開して、死者1名と多数の負傷者、逮捕者を出しました。闘いに参加していた東京大学助教授(原子核研究所)水戸巌さんはデモ現場で負傷者の救出を、翌日からは喜世子さんらが逮捕者への差し入れ、羽田周辺の全病院をたずねて、治療費支払い・被害把握・過剰警備の実態調査を始めました。自宅を事務所に自己資金で始まった市民による救援活動は、やがて救援連絡センター発足へと引き継がれていきます。喜世子さんは初代の事務局長として「救援2大原則」を貫きました。1986年チエルノブイリ事故がおきて、反原発の理論的支柱だった水戸巌さんは超多忙であったさなかの冬山登山で、物理学を専攻し、反原発の活動家でもあった双子の息子と共に原因不明の死を遂げます。
 2011年3月11日の福島第一原発事故のあと、同じく物理学を学んだ喜世子さんは、3人の遺志を引き継いで脱原発、脱被ばく活動に専念。現在「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表であり、福島・韓国のわかもの交流を主催しています。闘い続ける水戸喜世子さんに、多田謡子反権力人権賞を贈ります。

● ホームヘルパー国家賠償訴訟原告団
            (介護労働者の権利・生活とケア労働の尊厳を守る闘い)

 在宅介護を担うホームヘルパーの仕事は、人手不足と高齢化で大変危機的状況になっています。求人15人に求職者1人、平均年齢は65歳になり、人手不足で小規模事業所が次々に閉鎖されています。これは介護のための予算を切詰めて、労働基準法が定める最低限の労働条件も守れない制度を国が押し付けてきた結果です。ほとんどのヘルパーは、待機時間も移動時間も、直前にキャンセルされた仕事の補償もない違法状態で働かされています。2000年の制度開始から今までに最低賃金は1.4倍になっていますが、介護労働者の賃金は同一のままで、最賃とほぼ同額まで切り下げられました。
「介護労働は女のやる誰でもできる仕事だ」という差別的考え方によって、介護労働が法の枠外におかれ、制度そのものが危機になる中で、長年、介護労働の問題と取り組んできたベテランヘルパー3人が、2019年、国の責任を問いケア労働の尊厳を守る国家賠償訴訟を起こしました。  一審での不当判決後も支援の輪は大きく広がっています。どうしても必要で大切な介護の仕事を、誇りを持って安心して働ける仕事にするため立ち上がった、3人のホームヘルパーに多田謡子反権力人権賞を贈ります。

● 金城実さん
           (抵抗する彫刻家)

 大阪の高校で教えていた沖縄出身の金城実さんは、沖縄出身者、朝鮮人、部落民への差別に直面するなかで、抑圧された民衆から学んで彫刻制作を始めました。
 1986年に読谷村に移住して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を制作。2002年に沖縄で靖国訴訟が提起されると、父を靖国に合祀され関西靖国訴訟に加わっていた金城さんは、沖縄靖国神社合祀取り消し裁判の原告団長となりました。2006年には読谷村に朝鮮人強制連行問題を告発する「恨之碑」を建てました。
 これまでに、「沖縄」「残波大獅子」「長崎平和の母子像」「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」「恨之碑」「戦争と人間」「日本軍『慰安婦』像」を制作して沖縄戦の実相、差別の実相を訴え続けています。
 2018年には「琉球遺骨返還請求訴訟」の原告として京都大学を訴え、水平社宣言100年の2023年には、水平社宣言を琉球語に訳し、全国に発信して差別を問う。常に反権力の側、差別される側に身を置いて彫刻で訴え、琉球民族の歴史的位置づけを踏まえて、辺野古・高江など基地反対運動の現場に立つ金城実さん。私たちの大きな目標である金城実さんに、多田謡子反権力人権賞を贈ります。