第34回多田謡子反権力人権賞受賞者選考理由

2022/10/12

● ミンスイさん
  (在日ミャンマー人の生活、権利擁護活動。ミャンマー民主化運動)

 ミャンマーでは、1988年、ネウィン軍事独裁政権を倒した民衆の運動を恐れた軍部がクーデターで独裁政権を継続して以来、民主化を求める民衆への長年の弾圧が続いています。2002年、亡命するために来日したミンスイさんは、長く在日ビルマ市民労働組合の会長として、祖国の民主化とともに、日本国内などで働くミャンマー人の解雇や賃金未払いのほか、「使い捨て労働力」として搾取されている技能実習生の相談や法的救済などに取り組んできました。
 日本政府はミャンマー国軍幹部や幹部候補生を毎年、防衛大学校など自衛隊幹部学校に受け入れ、指揮官としての知識や実弾射撃を含む技能を給付金付きで学ばせています。帰国した軍人は少数民族を含む反政府派への空爆や民衆の殺害に関与した可能性があります。ミンスイさんは安倍首相国葬反対集会に参加し、「岸田首相は安倍元首相が暴力で殺されたというが、暴力で何千人も殺した国軍幹部をなぜ国葬に招くのか」と訴えました。
 右傾化する日本社会で、国内外の右翼勢力に狙われる危険や不利をものともせず、国際法を駆使し、言論で闘うミンスイさんに敬意を表し、多田謡子反権力人権賞を贈ります。

● SOSHIREN女( わたし)のからだから
            (産むこと・産まないことへの国家管理に抗議する活動)

「産めよ増やせよ」と兵力増強のために使われた女の体、封建的な家制度を存続させるための出産の強要や優生思想に基づく選別など、むき出しだった女の体の収奪はかたちをかえて続き、今も男社会と国家による女のからだの支配は過去のことではありません。
 1982年、優生保護法改悪を阻止するため、産む産まない選択の自由は女の基本的人権であること、刑法堕胎罪と優生保護法の撤廃をかかげて、たくさんのグループが集まって結成された「82優生保護法改悪阻止連絡会」は、法案の国会上程阻止後も、堕胎罪の存在、差別的な優生保護法のもとで中絶が許可されている状況を変えるために活動を継続し、1996年には名前を「SOSHIREN女(わたし)のからだから」と変更しました。
 生殖技術、エイズ予防法案などへの問題提起や抗議とともに、女性たちがお互いに経験を共有して力をつけ合う場として「女(わたし)のからだから合宿」やイベントを開催し、若い世代へと問題意識をつなげながら、女性の身体、とりわけ、産むこと・産まないことへの国家管理に抗して40年間活動を続ける「SOSHIREN女(わたし)のからだから」に多田謡子反権力人権賞を贈ります。

● いのちと暮らしを守るオバアーたちの会
           (石垣島での軍事基地反対運動)

 沖縄戦の後、八重山諸島に軍事基地はおかれず、人びとは豊かな自然を大切に暮らしてきました。与那国と台湾の距離は110キロ、少し前まで石垣島からフェリーが台湾と行き来していました。台湾はお隣さんであり、漁業関係者は漁場を互いにシェアーしていたのです。そこに降って湧いたのが、自衛隊基地建設でした。
 77年前、日本軍は石垣島に飛行場を建設し、周辺離島にスパイ戦の訓練を受けた兵士が配置されて人びとを戦争に駆り立てました。1945年6月、沖縄本島で戦闘が終結に向かっていたころ、石垣島では日本軍によりマラリヤ感染地域への強制疎開が命じられ、約3,000人がマラリヤや飢餓で亡くなったのです。今、自衛隊基地建設が進められている平得大俣地区は、住民が強制疎開を強いられた地域の近くです。
 苦しい時代を乗り越えた人びとが集まる「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」は、毎週日曜日、「軍事基地を許さない」と書かれた横断幕を掲げて街宣スタンディングを続けています。八重山諸島の自衛隊基地を許せない市民、戦争に怒る人びとの心の原点を支える「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」に多田謡子反権力人権賞を贈ります。