第17回受賞発表会
 
2005/12/17
 
 第17回受賞発表会と記念パーティーは2005年12月17日に東京・お茶の水の総評会館で行われ、受賞された次の2団体、1個人が闘いの報告を行いました。
 ● ヘリ基地建設反対協議会 (沖縄・辺野古)
 ● ココロ裁判原告団 (君が代強制反対)
 ● 田中哲朗氏 (沖電気闘争被解雇者)
 


 ヘリ基地建設反対協議会 (沖縄・辺野古)
《受賞理由》
 1999年、稲嶺沖縄県知事は米軍普天間基地の移設先を名護市の辺野古沿岸域を選定、岸本名護市長は受入を表明しました。そして、政府・那覇防衛施設局は海上ヘリポート建設に向けて、サンゴやジュゴンの住む豊かな辺野古の海にやぐらを建て、ボーリング調査を強行しようとしたのです。
 ヘリ基地反対協議会は、豊かな自然環境を破壊し、人殺しのための出撃基地を作ろうというこの動きに対して反対の声をあげ、この理不尽な巨大基地計画の不当性を全国に訴え、ボーリング調査を止めさせるべく座りこみやカヌーによる海上での阻止行動など様々な形での闘いを組んできました。
 今年10月26日、日米両政府は移設地を辺野古沖から辺野古沿岸部へと変更。大浦湾を埋め立てて巨大基地建設計画です。闘いが新たなステージに入ったこの時期に、当運営委員会はこれまでの闘いに敬意を表すと共に、今後の新たな闘いに連帯の意を込めてヘリ基地建設反対協議会を受賞者として選考しました。

 ココロ裁判原告団 (君が代強制反対)
《受賞理由》
 国旗・国家法制定(1987年)以前から、北九州では先駆け的に、君が代斉唱時に起立しないことを理由に戒告処分が出されていました。この被処分者らが1994年に「北九州がっこうユニオン・うい」を結成、「学校現場に内心の自由を求め君が代強制を憲法に問う裁判」(通称ココロ裁判)を1996年福岡地裁に提訴しました。
 今年4月26日、福岡地裁は原告の主張する「減給処分取り消し」を認め、国旗国家の強制一命令一現認といった指導が教育基本法10条に反するという画期的な判断を示しました。現在、日の丸・君が代処分が乱発される状況の中で、この先駆的な裁判闘争が勝ち取ったものは大きいのです。
 当運営委員会は、本人訴訟で9年間にわたって法廷闘争を闘い、減給取消処分を勝ち取り、内心の自由を認めない当局との闘いを持続したことに敬意を表し、控訴審での闘いに連帯の意を込めて同原告団を受賞者として選考しました。

 田中哲朗氏 (沖電気闘争被解雇者)
《受賞理由》
 1978年、沖電気で強行された1350名の指名解雇を撤回する闘いの中で、様々な嫌がらせや賃金差別を受けながら、沖電気社内にあって、被解雇者を支援する姿勢をあくまで変えなかった田中哲朗さんは、1981年、設計の仕事から遠方の営業職への配転と職種変更を拒否して解雇されました。
 それから24年半の間、田中さんは沖電気八王子工場の門前に毎日立ち続け(年360日×24.5=8820日)、解雇撤回闘争を継続しています。氏は、企業の中で会社に服従しない労働者が、仕事を取り上げられ、賃金差別を受け、孤立させられ、そして解雇されるという「企業ファシズム」が横行する日本社会の現状に対して、だれも正面から闘えないなかで、表面的には長い孤立を強制されながらも、門前に立ち続け、裁判や、株主総会や、そして、得意のギターと歌を駆使しながら闘い続け、今や孤立を脱して闘いを拡大する手がかりをつかみ取るところまで到達しました。
 当運営委員会は、困難な中でも希望を捨てず、闘い続けてきた田中さんに心から敬意を表すると.ともに、「企業ファシズム」を解体し、労働者が自由に物言える社会を取り戻す最後の勝利まで、ともに闘う決意を込めて受賞者として選考しました。